「さつま」ビタミンロード
- 所要時間:約60分
- 主な交通手段:徒歩
鹿児島(さつま)は、ビタミンに関わる医学や栄養学研究で活躍された2人の偉人、高木兼寛と丹下梅子(ウメ)がおられます。高木兼寛が医学を学んだ場所と丹下梅子(ウメ)の生誕地などを巡りながら、その2人に縁の深い、ウィリアム・ウイリス(鹿児島医学校校長)、西郷隆盛、五代友厚の像を訪れます。また、ビタミンが豊富な食材であるお茶の老舗に寄ったり、桜島や錦江湾を眺めてビタミン豊富な柑橘類や海産物を想像したりしながら海辺の路を歩いてもらいます。最後に、出発点である県民交流センターの明治時代の建築物である県政会館を訪れて、その2階にある鹿児島の食材を利用したレストランをご紹介します。ビタミンに関わりの深い鹿児島(さつま)の人や場所が1つの線で結ばれ、その線を「さつま」ビタミンロードと名付けました。鹿児島とビタミンのつながりに思いをはせながら、健康につながるその路を歩いてもらえればと思います。
協力:鹿児島県立短期大学 食物栄養専攻
鹿児島大学大学院医歯学総合研究科
衛生学・健康増進医学
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かごしま県民交流センター
かごしま県民交流センター:高木兼寛とウィリアム・ウィリスの銅像
ウィリアム・ウィリスは、明治2(1869)年に薩摩藩に招聘され医学校長(鹿児島医学校*)となり、赤倉病院を創設しました。イギリス式医学教育を行い、薩摩藩における医学の礎を築きました。この2人の像は、鹿児島医学校でウィリスが高木に西洋医学を説いている場面です。高木兼寛は、その後イギリス留学を経て、日本海軍軍医総監となり、当時の国民病であった脚気**の予防法を考案し、多くの命を救ったことが知られています。2人が並び立つ像は、鹿児島医学校での学びが、その後の脚気撲滅の端緒となったことを私たちに諭してくれます。
鹿児島医学校*:新政府の要職を辞して鹿児島に戻った西郷隆盛翁が、鹿児島の医学の発展を願い設立したものです。当時、東京大学医学部で医学を教えていたウィリアム・ウィリス博士を鹿児島に招聘し医学校が設立され、高木兼寛が入学(1870年)しています。高木兼寛は、日向国(現:宮崎市高岡町)に生まれ、鹿児島医学校で学んだあと、海軍軍医総監となっています。また、東京慈恵医科大学を創設したことでも知られています。
脚気**と高木の業績:現在では、ビタミンB1不足による神経や心臓の疾患として知られています。高木兼寛は、ビタミンB1が発見(鈴木梅太郎やC. Funkが発見)される20年以上前に、脚気の原因が摂取している栄養の不均衡であることを見出しています。ビタミンB1を多く含んだ胚芽を除いた精米摂取の問題点を指摘し、海軍で提供される兵食の内容を改善することで脚気を予防しました。兵食変更の結果、海軍においては、年間2000人程度の脚気患者をほぼゼロにした功績が残っています。
約8分
西郷隆盛の銅像
城山を背景に堂々たる姿の西郷どん
明治維新の中心的人物として知られる西郷隆盛ですが、鹿児島の医学の礎も作られています。ウィリアム・ウィリスを招聘し鹿児島医学校を創設したことから、鹿児島の医学の発展においても大きな功績を残しておられます。
約8分
美老園本店
お茶を育てて140有余年 鹿児島の老舗日本茶専門店
薩摩初代藩主・忠久公以来、お茶との関わりが深かった鹿児島です。その鹿児島の老舗の茶会社である美老園の本店を訪れます。お茶は、ビタミンCをはじめ多くのビタミンを含んだ食材です(ビタミンA、E、K、葉酸も豊富)。お茶からビタミンを上手に摂るためには、沸騰したお湯ではなく、少しぬるめのお湯で入れることも大事です。
丹下梅子(ウメ)の胸像
鹿児島の百貨店(山形屋)の入り口前、丹下梅子(ウメ)の胸像です。日本に「女子大生の日(8月21日)」があることを知る人は多くはないかもしれません。大学への入学を許可された日(1913年)を記念して、「女子大生の日」が制定されています。今では、大学で学ぶ女子学生は多くいるわけですが、日本で最初に大学(当時の東北帝国大学)に入学した3人の女性がその門戸を開いています。日本で最初の女子大生の1人が鹿児島出身の丹下梅子(ウメ)で、その功績を讃えて胸像が置かれています。丹下梅子(ウメ)は、専門分野の化学を軸に栄養学研究者として活躍され、今でいう「リケジョ」でした。アメリカに留学もし、スタンフォードやコロンビア大学、ジョンズ・ホプキンス大学で栄養化学を学んでいます。特に、ジョンズ・ホプキンス大学では、ビタミンAとDを発見されたマッカラム教授の指導のもと、ビタミンD関連化合物の研究をされ、日本人女性としては初めて、アメリカの大学から博士号(PhD)を授与されています(1927年)。帰国後、日本女子大学校の教壇に立つ傍ら、理化学研究所で鈴木梅太郎(ビタミンB1の発見者)のもとで研究を行っています。1940年にビタミンB2複合体の研究で東京帝国大学から農学博士の学位を受けています(日本の女性としては2人目の農学博士です)
約4分
丹下梅子(ウメ)の生誕地の碑
丹下梅子(ウメ)の生誕地を記念した碑です。幼少の時に、右目に大きなケガをされていて、近くにあった鹿児島医学校・赤倉病院で治療を受けたのではと推測されます。鹿児島県立女子師範学校(現在の鹿児島大学教育学部)を卒業後、女性として初めて文部省化学中等教員検定試験に合格しています。1913年に40歳で東北帝国大学理科大学化学科へ入学しています(当時は他の帝国大学は女子及び旧制高等学校以外の出身者の入学は認めていなかった)。82歳(1955年)で死去するまで、女性科学者の先駆者として学究一筋の生涯でした。
約4分
五代友厚の銅像
大阪の商工業の発展に尽力
大阪に商法会議所を設立し初代会頭となるなど、大阪の商工業の発展に尽力した五代友厚の銅像です。1865年、薩摩藩遣英使節団の1員として、イギリスで経営学を学んでいます。帰国後、西郷隆盛らと明治新政府の樹立に、特に経済面において貢献されています。現在の大阪商工会議所の前身である大阪商法会議所を設立し、食産業(特に製塩業)も含めた様々な産業の発展に尽くされています。同郷ということもあり、晩年においては糖尿病を患い、高木兼寛が主治医として治療に関わったことが知られています。
1864年に薩摩藩に対して今後の国づくりに対する上申書を提出しています。「五代才助上申書」と呼ばれているものです。その最初に、「米・海産物などを上海に輸出し、これによって利益を得よ」と書かれており、薩摩の持つ食材の価値や希少性に気づいていたことが窺われます。
約5分
ウオーターフロント(桜島と錦江湾を眺める)
錦江湾と桜島、行き交う船が旅情を誘う
少し足を海側に進めると、錦江湾に浮かぶ鹿児島のシンボル桜島の全容が見えてきます。桜島は桜島小ミカンやビワ(ビタミンAが豊富)など、柑橘類の産地として知られています。桜島を訪れると、白い花と思われる木々に気づくことがあります。
それは、「花」ではなく、ビワの実を守るために1つ1つの実を保護した「白い紙」です。
桜島の1つの景色です。また、世界最大級の大きさを誇る桜島大根や水はけの良い火山灰から成る土壌を利用したサツマイモ(紫芋:ビタミンCが豊富)の産地でもあります。
さらに、眼前に広がる錦江湾からとれる海の幸は、養殖ブリ(ビタミンD、ナイアシン、B6、B12が豊富)や養殖カンパチ(ビタミンD、ナイアシン、B12が豊富)、天然のきびなご(ビタミンD、ナイアシン、B6、B12が豊富)や、うなぎ(ビタミンA、D、E、B2、ナイアシン、B12、パントテン酸が豊富)など豊かなものです。
約10分
かごしま県民交流センター:県政記念館2Fレストラン(Bistro de Reve-新館-)
西郷隆盛や五代友厚が樹立に貢献した明治新政府は、1874年に廃藩置県を実行し、薩摩藩は鹿児島県となりました。その歴史の中で、薩摩の食文化もまた、鹿児島県へと引き継がれています。鹿児島県の県政の歴史を展示する県政記念館の2階に、鹿児島の食材を食することのできるレストランがあります。鹿児島県産の地鶏(ナイアシンやビタミンB6が豊富)や黒豚(ビタミンB1やナイアシンが豊富)、黒毛和牛(ナイアシンやビタミンB12が豊富)を使用したメニューがあり、調味料として鹿児島特産の黒酢やかつお節(ビタミンD、B1、ナイアシン、B6、B12が豊富)も使われています。登録有形文化財である県政記念館の中で、さつま・鹿児島の歴史を感じながら郷土の料理を味わうことができます。
かごしま県民交流センター
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