コース7:石橋から見える幕末薩摩の歴史
- 所要時間:1時間
- 主な交通手段:徒歩
財政改革に成功した薩摩藩は甲突川に五大石橋を作り、欧米の脅威に備えて大砲や砲台を造りました。当時の薩摩藩の先進性について思いを馳せるコースです。
集合場所:石橋記念館玄関前
解散場所:石橋記念館玄関前
集合時間
午前の部:9:50
午後の部:13:50
【公園】 通年開園(駐車場の閉鎖時間にご注意ください)
【記念館】 午前9時~午後5時(7・8月は午後7時まで)月曜日休館(祝日の場合は翌日)
石橋記念館の施設内は見学コースには含まれておりません。(石橋記念館:入場料無料)
※詳しいことは、お申込み時に『鹿児島まち歩き観光ステーション」にお尋ねください。
「鹿児島ぶらりまち歩き」へのお申込みはこちら
集合場所:石橋記念館玄関前
解散場所:石橋記念館玄関前
集合時間
午前の部:9:50
午後の部:13:50
【公園】 通年開園(駐車場の閉鎖時間にご注意ください)
【記念館】 午前9時~午後5時(7・8月は午後7時まで)月曜日休館(祝日の場合は翌日)
石橋記念館の施設内は見学コースには含まれておりません。(石橋記念館:入場料無料)
※詳しいことは、お申込み時に『鹿児島まち歩き観光ステーション」にお尋ねください。
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石橋記念館玄関前
石橋記念公園
石橋の架橋技術や当時の歴史をわかりやすく伝える
鹿児島市の中心を流れる甲突川には、江戸末期、肥後の名石工「岩永三五郎」指導のもと建造された5つのアーチ石橋(玉江橋、新上橋、西田橋、高麗橋、武之橋)が架けられていました。なかでも「西田橋」は、城下の表玄関として豪華に建造され、あの「篤姫」もお輿入れの時渡ったといわれます。
約150年の間現役の橋として県民に親しまれてきましたが、1993年8月6日の集中豪雨により、2橋が流失してしまいました。残った「西田橋」など3橋を移設・復元し、併せて石橋の架橋技術や当時の歴史をわかりやすく伝える「石橋記念館」を整備した公園です。
橋下の「水の流れ」では、安心・安全で「古き良き時代」の川遊び体験ができます。また「水遊びスポット」、子どもたちの学習の場、観光や憩いの場所として親しまれています。
隣接する祇園之洲公園には三五郎像や、薩英戦争(祇園之洲)砲台跡、ザビエル上陸記念碑などもあり、石橋記念公園とともに憩いのスポットとなっています。
約150年の間現役の橋として県民に親しまれてきましたが、1993年8月6日の集中豪雨により、2橋が流失してしまいました。残った「西田橋」など3橋を移設・復元し、併せて石橋の架橋技術や当時の歴史をわかりやすく伝える「石橋記念館」を整備した公園です。
橋下の「水の流れ」では、安心・安全で「古き良き時代」の川遊び体験ができます。また「水遊びスポット」、子どもたちの学習の場、観光や憩いの場所として親しまれています。
隣接する祇園之洲公園には三五郎像や、薩英戦争(祇園之洲)砲台跡、ザビエル上陸記念碑などもあり、石橋記念公園とともに憩いのスポットとなっています。
祇園之洲砲台跡
薩摩藩家老の調所広郷は、財政改革後、稲荷側に石橋をかけ、埋め立て地、祇園之洲を造りました。
どうして薩摩は幕末のフロントランナーになったのか、ガイドがやさしくお話いたします。
どうして薩摩は幕末のフロントランナーになったのか、ガイドがやさしくお話いたします。
祇園之洲公園
鹿児島市の中心を流れる甲突川には、江戸末期、肥後の名石工「岩永三五郎」の指導のもと建設された5つのアーチ石橋がありました。
篤姫がお輿入れの時「西田橋」は城下の表玄関として豪華に建設されました。こちらの西田橋など3橋を移設・復元しました。
篤姫がお輿入れの時「西田橋」は城下の表玄関として豪華に建設されました。こちらの西田橋など3橋を移設・復元しました。
石橋記念館
平成12年開館、五石橋の歴史や架橋技術などについて展示、石橋移設地(石橋記念公園)から出土した 遺物を中心に移設地の歴史、五石橋や鹿児島県内の石橋に関するデータ、移設・復元工事の記録映像を見ることができます。
石橋記念館の施設内は見学コースには含まれておりません。
※詳しいことは、お申込み時に『鹿児島まち歩き観光ステーション」にお尋ねください。
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