コース7【オプション3】:歴史の宝箱 鹿児島発祥の地「上町」
- 所要時間:1時間30分
- 主な交通手段:徒歩
上町は中世において島津氏が鹿児島に進出し勢力を伸ばし発展させた町です。また、幕末に活躍した篤姫の生家跡等もあり歴史の流れが感じられるコースです。
集合場所:石橋記念館玄関前
解散場所:今和泉島津家本邸跡(篤姫誕生地)
集合時間
午前の部:9:50
午後の部:13:50
【公園】 通年開園(駐車場の閉鎖時間にご注意ください)
【記念館】 午前9時~午後5時(7・8月は午後7時まで)
月曜日休館(祝日の場合は翌日)
「鹿児島ぶらりまち歩き」へのお申込みはこちら
集合場所:石橋記念館玄関前
解散場所:今和泉島津家本邸跡(篤姫誕生地)
集合時間
午前の部:9:50
午後の部:13:50
【公園】 通年開園(駐車場の閉鎖時間にご注意ください)
【記念館】 午前9時~午後5時(7・8月は午後7時まで)
月曜日休館(祝日の場合は翌日)
「鹿児島ぶらりまち歩き」へのお申込みはこちら
START
石橋記念館玄関前
石橋記念公園
石橋の架橋技術や当時の歴史をわかりやすく伝える
平成12年開館、五石橋の歴史や架橋技術などについて展示、石橋移設地(石橋記念公園)から出土した 遺物を中心に移設地の歴史、五石橋や鹿児島県内の石橋に関するデータ、移設・復元工事の記録映像を見ることができます。
祇園之洲公園
薩摩藩家老の調所広郷は、財政改革後、稲荷側に石橋をかけ、埋め立て地、祇園之洲を造りました。
八坂神社
島津氏の代々当主が厚い信仰を寄せていた5つの神社の一つ。毎年7月に行われる鹿児島の夏の風物詩の一つ「おぎおんさぁ(祇園祭)」は、元々、病気を追い払う祭りでしたが、現在、商売繁盛を祈って行われています。繁華街天文館を練り歩くにぎやかな山車と踊り行列がスタートする神社です。
春日神社
上町五社の一つです。薩摩水軍の軍港跡地に建てられた奈良の春日神社の分社で、神社が建てられた年代は明らかではありませんが、島津氏がこの地域を治める以前に、長谷場直純が東福寺城を築いたとき、船着場にこの神社を建てたと伝えられます。
森有礼誕生地
17歳で、薩摩藩留学生の一人として渡英し、その後、ロシアやアメリカにも赴き、帰国後は、新政府で初代文部大臣として、小学校から帝国大学までの学校制度を整えました。福沢諭吉などと「明六社」をつくり啓蒙運動を展開しました。明治22(1889)年、大日本帝国憲法発布の日、自宅で暴漢に襲われ、翌日死去しました。
仁王堂水
島津氏の祈願所で厚い信仰を受けていた大乗院の正門を仁王堂と呼んでおり、その近くから出ていた湧き水を仁王堂水と呼んでいました。茶や酒造りに使われており、清水町の名もここから由来していると言われています。現在も、湧き水は水道水として使われています。小さな赤い祠があり、菩薩像もあります。
若宮公園
天保13年(1842)岩永三五郎により作られた石橋が移築されています。公園を整備する際に縄文時代の出土品も出てきています。
若宮神社
島津氏の厚い信仰を受けた鹿児島五社の一つ。創建の時代ははっきりしませんが、鹿児島五社の一つで参りをするのが、習わしだったので、代々当主を相続する際に、参拝し、祭りが行われました。歴代の藩主や篤姫などもお参りしたのではないかと思われます。
大龍寺跡
第15代藩主島津貴久は現在の大龍小学校がある場所に、天文19(1550)年、内城を築いて移り住み、戦国時代から安土桃山時代の約50年間にわたって、島津氏の居城となりました。その後、第18代家久が城山のふもとに鹿児島城(鶴丸城)を築いて移ると、ここに寺を建て、大龍寺と名づけました。開祖には南浦文之が招かれ、朱子学を我が国にもたらした桂庵玄樹の学風を伝える儒僧として、その教えを広めました。 明治2(1869)年、廃仏毀釈により廃寺となり、明治17(1884)年、大龍小学校が開設されました。
今和泉島津家本邸跡(篤姫誕生地)
篤姫ゆかりの地
篤姫の生家である今和泉家の本邸跡です。屋敷自体はすでになく、当時を偲ばせる石垣が通りに面して残っています。
GOAL
Google Mapの読み込みが1日の上限を超えた場合、正しく表示されない場合がございますので、ご了承ください