伊地知正治 いじち まさはる

1828(文政11)年~1886(明治19)年

鹿児島市上之園町に生まれた。

身長は150センチ足らずで、左眼は不自由で、耳がよく聞こえず、口も開きにくい。そして、右足も不自由であった。それでも心が勇ましく、人よりもすぐれていた。幼いころから、ものすごいがんばり屋で、中国の古い書物を読んだり、戦の学問を深く研究し、薩摩に伝わる示現流を習い始めたとき、人々は笑ったが、ついにやりとげた。

戦争のしかたを深く研究し、西郷従道らに教え、西郷隆盛が最も信頼していた人物の一人である。また、藩校造士館の教官も務めたことがある。徳川幕府が政治に終わりを告げたのは、1868年(明治元)1月から始まった戊辰戦争である。この戦争の作戦はほとんど伊地知がたてた。総大将格は西郷で、このコンビで勝利を得た。戦いの前日は遊びまわっていたという胆力の持主であった。いざ戦いとなると、新式のミニヘル銃をうまく使った。

1874(明治7)年、左院(太政宮内におかれた諮問機関)議長となり、のち修史館総裁となった。西南戦争後鹿児島に帰り、産業を盛んにするよう知事にすすめた。

(出典:「鹿児島市の史跡めぐり人物編」鹿児島市教育委員会・平成2年2月発行)


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歴史・史跡

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