井上良馨 いのうえ よしか

1845(弘化2)年~1929(昭和4)年

元帥、海軍大将。鹿児島市高麗町に生まれた。

19歳で薩英戦争に参加し、桜島の近くの沖小島の砲台に配置され、イギリス艦隊と戦った。そのとき、イギリス軍艦の弾が井上良馨にあたった。4メートルほどはねとばされ気絶した。やがて、仲間に介抱されて気を取りもどしたが、左のふとももに大けがをした。このとき、差していた太刀は、あめのように曲がっていたという。危ないところで命を落すところだった。戊辰戦争にも参加し、のち海軍に進んだ。

1878(明治11)年、日本海軍の艦長として初めてヨーロッパへ航海することに成功した。

1888(明治21)年、海軍大学校初代校長を務めたのをはじめとして、海軍の大事な仕事を次々に務めていった。1911(明治44)年、元帥となった。

一生、鹿児島弁でとおしたといわれる。自分の墓を「沖小島が、よう見ゆっとこへ」と遺言をした。これは、薩英戦争のときの体験からだろうと思われる。遺言どおり、墓地は沖小島の見える郡元の高台にある。

(出典:「鹿児島市の史跡めぐり人物編」鹿児島市教育委員会・平成2年2月発行)


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