税所敦子 さいしょ あつこ

1825(文政8)年~1900(明治33)年

京都に生まれる。歌人。

幼時より歌を好み、千種有功に和歌を学び、大人以上の才能を発揮した。6歳の時に次のような歌を詠んでいる。

我が家の軒にかけたるくもの巣の 糸までみゆる秋の夜の月

京都の薩摩屋敷に勤めた税所篤之の後妻となる。

28歳で夫と死別、その後鹿児島の姑のもとに一人娘を連れて来鹿し、孝行を尽くす。税所篤之の実家は姑と先妻の娘2人、弟夫婦とその子ども数人がおり、敦子とその娘1人を合わせて10人家族だった。当初、姑は京都生まれの敦子が薩摩入りするのを好まず、「よそ者」として冷たくあしらっていたが、誠心誠意、一生懸命尽くす心根の優しい敦子に接するうち、いつしか大変気に入るようになったという。

敦子のすぐれた才能と和歌、文章は藩内でも知られ、遂に島津斉彬の世子(哲丸)の守り役に選ばれる。

その後、島津久光の養女貞姫が近衛忠房に嫁ぐとき、老女に選ばれた。

和歌を八田知紀に学び、貞姫に従って東京に移り、明治8年高崎正風に推されて皇居に召され、明治天皇及び皇后に仕えた。76歳で没した。

(参考:「もっと知ろうよ維新のまち」鹿児島市・平成23年3月発行)


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歴史・史跡

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