川路大警視像 かわじだいけいしぞう
日本の初代大警視(警視総監)
日本の初代大警視(警視総監)を務め、欧米の近代警察制度を日本で初めて構築した川路利良の像です。
(川路利良について)
1834(天保5)年~1879(明治12)年
1834(天保5)年、鹿児島市皆与志町で、藩士の子として生まれる。
39歳のとき、西郷隆盛の推薦で、ヨーロッパ各国の警察制度を調査する。翌年帰国。
東京警視庁が設置された41歳のとき、大警視(初代警視総監)に任命され、警察制度や消防制度を整える。
1877(明治10)年に起きた西南戦争では、警視隊を率いて、大きな恩を受けた西郷隆盛の薩摩軍と戦う。「私情においてはまことに忍びないことであるが、国家行政の活動は一日として休むことは許されない。大義の前に私情を捨て、あまねく警察に献身する」と言い、警察の立場に立って警視庁警視隊を率い、西郷軍と戦った。
川路はほとんど制服をぬいだことがないと言われるほど、仕事に一生懸命に取り組んだが、家庭ではやさしい一家の主人だった。たいへん我慢強く、どんなに暑かったり寒かったりしても、決して「暑い」「寒い」ということを口にしなかった。また、4時間以上の睡眠はとらず、床に入るときは必ず枕元に紙とすずりを置き、何かを考えつくと夜中でもすぐにローソクに火を灯し、筆をとって書きとめ、「夜の考えはまことによい」と語っていたという。
45歳(満)のとき、警察制度の研究のため、再びヨーロッパへ出発したが、病気のため途中で帰国し、満45歳でこの世を去った。
(参考:「もっと知ろうよ維新のまち」鹿児島市・平成23年3月発行)
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基本情報
住所 | 〒890-0064 鹿児島県鹿児島市鴨池新町10-1 |
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アクセス | ・鹿児島中央駅から市営バス16番線「県庁前」下車 ・市電「郡元」から徒歩約15分 ・鹿児島中央駅から車で約15分 |