松方正義之像 まつかたまさよしのぞう

日本銀行を設立した明治を代表する政治家

明治時代を代表する官僚・政治家で、首相や大蔵大臣などを務め、日本銀行を設立した松方正義の像です。
(松方正義について)
1835(天保6)年~1924(大正13)年

1835(天保6)年、鹿児島城下下荒田町出身。明治時代を代表する官僚・政治家。

13歳で両親を亡くし、子供の頃は貧窮に苦しむ。

大番頭座書役となり、7年間勤め、精勤振りを認められ、金130両賜る。開封せず全額亡き父の負債返済に当てた。偉大なる人格者として国家財政を担当する器を証明。

久光の側近として寺田屋事件、生麦事件に関係し忠勤を尽くす

日田(大分)知事時代、間引きの風習を矯正し養育館を設立し、人口政策に実をあげた。

福岡藩の偽札製造事件を摘発し、大久保の推挙で民部大丞、租税頭に就任し地租改正の完成に尽力。

大蔵卿、大蔵大臣として10年以上関わり「松方財政」と呼ばれる政府発行紙幣を整理し、日本銀行を設立、日本銀行兌換券を発行し金本位制度を確立。

第4代、第6代内閣総理大臣となるが、それぞれ1年数カ月で辞任。

藩閥の巨頭として2度の組閣後、枢密院顧問、内務大臣、日本赤十字社長を歴任。晩年は元老待遇。

低い身分からの異例の出世を遂げた松方に対し、称賛の声の反面、妬む者もいたという。財政面以外での政治手腕には不安な面もあったが、明治天皇からの信頼は絶大で、官僚や元勲の反対の中、天皇からは財政を任されていた。日露戦争の開戦時、積極的に開戦論を主張、財政上の不安はないと豪語して天皇から認められ、戦後異例の大勲位受賞となった。

松方の信条は「我に奇策あるに非ず 唯 正直あるのみ」。

1924(大正13)年、満89歳で没し国葬。

(参考:「もっと知ろうよ維新のまち」鹿児島市・平成23年3月発行)


エリア
鴨池
カテゴリー
歴史・史跡

基本情報

住所 〒890-0056 鹿児島県鹿児島市下荒田1
アクセス ・市電「二中通」から徒歩約3分
・鹿児島中央駅から車で約8分

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